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こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。
このブログでは何度か書いている通り、ぼくは高校を中退して起業しています。
学歴社会と散々謳われている世の中で中卒ごときがよく生きてこれたなと自分でも思いますが、運良くみなさんのおかげで楽しく生きてこれています。
ただそんなぼくも高校の時は激しく葛藤をし、特に親の敷いたレールから逃れるため孤軍奮闘しました。
ぼくの母親はとにかく良い学校に行って大企業に修飾しろ!という安定志向だったので、正直全くソリがあわなかったんです。
そんな母親が敷いたレールを思いっきり脱線してきたぼくが、レールとは結局なんだったのかについて書いていきます。
母親の敷いたレール
先ほども書きましたが、ぼくの母親は安定志向で、仕事や将来の面についても特にうるさかったんです。
将来のビジョンもある程度持たなければ自分のやりたいこともやらせてもらえない状況で、起業なんてもちろん反対派でした。
そんな母親をどうやって説得したかというと、実際説得なんてものは一切せず、「俺は俺だ!」というふうに突き抜けてきてしまったわけですが…。
ていうかそもそもですよ。
高校生に将来の話をされてもどうしようもないわけです。夢なんて無いし。
それに夢を決めたからと言って絶対にならなければいけないわけでもありません。
ぼくとしては社会に出てもいない状態で、どんな仕事がしたいかなんて想像もつかないし、正直無理難題すぎるだろと思っていました。
ぼくは高校生で自分の未来設計図を作れるほど優秀でもなければ、利口でもありません。
結局、やりたいことをやってみる、そういうスタンスだったんです。
レールの上を歩むことがぼくのやるべきことだった
それでも直前までレールの上を歩んできたぼく。一応早稲田大学を志望し、受験勉強もガッツリやってきました。そうしていれば怒られないんですよ。
悪い結果が出ても「結果が全てだから」と言って母親がぼくを責めるようなことはほとんどありませんでした。
その分プレッシャーは毎日のようにのしかかりました。
そんな重圧にも負けず、ぼくは自分にできることを勉強し、受験に向けて進んでいったんです。
ただ、次第に自分で自分の選択が正しいのか。これに疑問を抱き始めます。
「そもそも結果ってなんだ?」
「結果って大学に受かることなのか?」
そう考え出すと、大学に入るのはあくまでスタートであり、ゴールでもなんでもないんですよね。
だったらちゃんとその先を見据えた行動を取るべきなのではないか。
ぼくは次第にそう考えるようになりました。
関係を壊してまでぼくが手にしたかったもの
結局、途中で受験勉強はやめ、母親の制止も振り切りながら学校に行くのをしばらくやめました。
先生や友人からの誘いも断り、平日にも朝からバイトを入れ、今後どうなっていくのかわからない自分の不安を紛らわすかのようにぼくはひたすら働きました。
それでも結局不安は消えませんし、母親との軋轢も増していき、家にいるだけでお互い怒鳴り合いの喧嘩をするまでに。
この時、ぼくは不安だらけで、目の前が全く見えていない状態に陥りました。
周り全ての環境を壊し、そこまでしてぼくが手に入れたかったものはちゃんとあるんです。
それは「自分で選択する道」。
しっかりと自分が進むべき道を捉え、選択し、誰かに決められたレールにハマらない覚悟がほしかったんです。
何をすればいいかも、目の前も全て闇のようで手探りどころか足元すら、自分が何をしているのかもよくわからない状態でしたが、それでもどうしても自分で選びたかったんですよね。
ぼくは母親の制止を振り切り、高校を辞める決意をしました。
レールとはなんだったのか
レール、レールとよく聞きますが、じゃあ結局レールってなんだったのかと言えば、自分以外の誰か、あるいは社会の一般的な常識に当て込まれたものだとぼくは思っています。
レールは誰かに敷かれるものではなく、自分で作っていくものです。
目の前が真っ暗で、本当に自分が進みたい方向に向かっているのかわからなくても、それでもやっぱり自分で作るものだとぼくは思うんです。
だからぼくは母親の作ったレールは思いっきり外れましたし、どこに行けるかわからなくても自分でレールを新しく敷き始めました。
それでいいんです、自分の人生なんですから。
他人の敷いたレールで自己責任になるよりも、自分の敷いたレールで責任持ったほうがよくないですか?
どうせ生きるなら納得するレールを作りましょう。
親だろうと自分だろうと敷かれたレールはその人のエゴです。
要は自分が今いるレールに、どれだけ納得いくかってことなんです。
[…] 高校を中退したぼくにとって親の敷いたレールとはなんだったのか […]