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いつまでもアフタースクール

放課後が待ち遠しかった学校生活。ぼくにとっては今も放課後。だから楽しく生きていけます。主にオピニオン、10代20代への起業論を発信していきます。

生徒会長が中退して何が悪いの?ぼくは楽しいを仕事にしたいんです!

日々想うオピニオン

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こんにちはぶんたです。

今回はぼくの経歴についてのプロフィール記事を書きました。

 

〜小・中学校時代

僕は東京の端っこ辺境の地 八王子 で男の子として生まれました。コチラの記事でも書いているのですが、お医者さんの勘違いで直前まで女の子として扱われていたそうです。女の子だったらさぞひざうらの綺麗な可愛らしい子に育っていたでしょうね。こんな変態じゃなくて。

そんなわけで晴れて産声を上げた僕はすくすくと育っていきます。アイドルに憧れていた母親の夢を背負い、幼少期から子役として芸能界での活動も始めました。その頃から「人と少し違う」事への興味が湧いていました。しかし、当時の僕はそれが芸能活動だけにあるものなのではと勘違いしておりました。ここらへんから長い長い芸能生活が始まります。

小学校、中学校と共に子役の仕事やオーディションがあると早退や欠席を繰り返し、年間で100本以上のオーディションを受け、選考に通れば数件〜数十件の仕事に行く。僕はお小遣いというものが無かったのですが、親は子役をして入ったギャラの5割を僕にくれていました。ほとんどが掛けなのでお金の入りにタイムラグはありましたが、1発20万とかの仕事だとかなりウハウハだった思い出があります。

ただそんな生活もずっと続くわけもなく、中学校に入ってから仕事もオーディションも激減しました。一般的に男性子役は「声変わり」の時期で一度目の壁が訪れると言われていますが、僕はまさにこの変声期の壁を乗り越えられずにいました。もっとガッツいていく力、演技力、気に入られる手段など色々な要素を兼ね備えていないとここで止まってしまうのかなと思います。当時の僕は幼少の頃から毎週演技の稽古を受けていましたが、それは惰性でしかなく実力に繋がるものでは無かったのです。

また、この時期から芸能界に入った人たちが続々と売れていきました。本気度のある同じ稽古場の生徒は今では誰もが知っているアイドルグループの一員になってたりします。

僕はこの時、本気とは何か、僕が今まで意識していたものは本気ではないのかと自問自答の日々に陥りました。しかしそれでもたまにデカイ仕事を取れたりするんです。それが甘い毒となり、僕をダラダラと芸能界に居座り続けさせました。

そんな中一つの転機が訪れます。高校受験でした。

祝・初代生徒会長!そして退学へ

もやもやしていた気持ちを抱えながら漠然と日々を重ね、自分はこれからどうしていけばいいのかという疑問を先延ばしにしていた僕。この気持ちは義務教育の終わりと共に少しずつ変化していきます。

当時、そこそこ勉強もできた僕は担任の先生との二者面談で進学校を奨められます。もやもや状態の僕はなんだかその安直な提案をどうしても受け止めたくなく、「このままズルズルと流れていったらずっと変われない。自分を変えれる居場所を見つけなくちゃ」と片っ端から少し尖った学校を調べ説明会に行く日々が始まりました。

そんな中、東京都には数校しかない総合学科の高校が新しく立ち上がるという情報を得ました。僕はすぐにそこの説明会に行き、ここなら自分を変えていけるかもしれないと徐々に感じるようになりました。今思えば「普通科」の「普通」という言葉が嫌だったんでしょうね。そこが切り口だったと思います。

その後も何校も見て回りましたが、結局その高校が頭から離れず、進学先を決めました。面接試験は3分間のプレゼンという一風変わったもの。僕はそこで必ず初代生徒会長になるという宣言をすることにしました。芸能界で完全に打ちのめされた僕ですが、自分にもきっと何かが出来る事を証明するんだ!という悔しい思いがそこには詰まっていたんです。結果は合格。満点には惜しくも5点足りずそれでも晴れて試験をパスしました。

ここからは怒涛の連続です。いわゆるKD(高校デビュー)を体現したような僕はすぐにクラスの懇親会を開いたり、学生鞄と同じくらいのキーホルダーを付けて周囲に認知してもらおうと奇行を繰り返していました。とにかく目立って目立って面白いことをして生徒会選挙を迎えたかったんです。やる気のある一期生からは10人以上の人が生徒会に立候補していました。僕は既に「なんだか頭のおかしい人」という印象付けをしていたわけですが、全校生徒を前にしたプレゼンでも「愛は売ってないのか」という題材をテーマにプレゼンを行いました。ぶっちゃけ学校とか全然関係なくてかなりのこじつけでしたが、その結果、過半数の生徒が僕に投票するという異例の自体が起きました。「よくわからないけどこいつ面白そうだな」って思ってもらえたのかなと思います。

選挙後に感じましたが、変なことしてると変な友達ばっか集まってきて凄く面白いんですよね。類は友を呼ぶとは本当によく言った言葉だと思います。僕はそんな人にもっともっと会ってみたいと思うようになり、中学校や市の施設で高校の説明会を開催し、次世代の中学生へひたすら想いを投げかけました。

一度芸能界で挫折した僕ですが、思い切って動いてみればこんなに楽しい事が出来るんだ。と毎日が楽しかったです。僕は高校一年の夏、芸能事務所を辞めました。

行動力と発想だけを武器に突き進んでいると、ふとした時に将来の事を考えて不安に駆られました。確かニートが増えているというニュースが頻繁に飛び交っていた頃です。ニート=会社に適応出来なかった人という印象だったのですが、僕にはまさにそんな未来が見えました。きっとこのままじゃちゃんとした会社に入っても、「変な奴」って扱いを受けてしごかれる。社会は学生の世界程は甘くないだろうと感じました。

そんな思いを抱えながら高校1年生の秋、僕は先生の奨めを受け受験勉強を始めました。「偏差値の高い大学に行けば、お前みたいなちょっと変わった奴らは一杯いる。今は将来の事を深く考えられなくても同じような奴らに会えば何かが見えるかもしれない。そんな人に会いたいならまず勉強をするんだ」僕は律儀にその言葉を守り、10月が終わる頃には、高校3年間の英語の学習過程を全て終えていました。

生徒会も受験勉強も恋愛も順調に2年生へ。未だに将来の自分像が見えなかった僕はとにかく淡々と日々を繰り返していました。そんな日常がマンネリ化してきて、次第にコレは本当に最善の選択なのかとまたしても自問自答が始まります。良い大学に合格し、4年間仲間たちと楽しい日々を過ごし、で、その先は...?結局会社に入ってまた危惧していた状況になるんじゃないか、と。

不安な気持ちはすぐ周りに影響しました。文化祭の日には彼女に振られ、両親は唐突に離婚し、あまり仲の良くなかった母親と毎日喧嘩をしながら過ごす日々が始まりました。受験勉強もやる気を失い、教えてくれていた先生には負い目を感じ、学校でも無気力になりました。

なにか。なにかしないと。僕は焦っていました。

当時、高尾山でバイトをしていた僕はそこだけが普段の悩みを忘れられる場所でした。観光地で1日に4,000本もの団子を捌くのでめちゃくちゃ大変でしたが、働いている瞬間は本当に楽しかったです。この辺りから、働くことの楽しさを感じましたが、それでも店長が部長さんから怒られている姿を見ると会社って嫌だなとも改めて再確認しました。

働くということの本質はなんでしょうか。楽しいから?生活の為?人それぞれ理由があると思います。生活の為が一番かもしれません。でもやっぱり楽しくないと続けられないと思います。少なくとも僕はそう感じました。当時古典の授業が何の役に立つのかわからず、ボイコットを繰り返していた僕は仕事へも同じ感情を抱いたのです。つまらないこと、意味のわからないことはやらなくてもいい。やっぱり楽しいことじゃないと続けていられないんだ。

では、何かに楽しいと感じる時はいつなんだろうと僕は感覚の渦を辿ります。芸能界も現場の撮影は楽しかったですし、受験勉強も最初は凄く楽しかった。バイトで歴代売上を更新した時も楽しかった。初代で生徒会長を務めている事も楽しい。いくつもの「楽しい」を列挙した時に共通点に気づきました。「人と違うことをした時」です。受験勉強が楽しかったのも周りはまだ高校生をエンジョイしている中、どんどん知識を付ける事が「周りとは違うこと」をしている感覚になって楽しさを作りました。

この感覚に気づくと、高校生を続けているのは余りにも「普通」すぎました。初代生徒会長は誰もが出来る経験ではないかもしれませんが、僕はそれでも満足できませんでした。

「もっと違うことがしたい!!」

そう思ってから、僕は少しずつ学校を休みがちになり、修学旅行にも行かずひたすらこれからの計画を練りました。
そして僕は卒業式の7日前に高校を自主退学し、3月3日ひなまつりの日に会社を立ち上げました。

事業はケータリング販売やイベント業務。開始1ヶ月でニコニコ超会議2に出たり、2ヶ月目には国民政策金融公庫から300万の融資を受けたりと、怒涛の3年間が始まります。

現在は労務経理業務の代行、業務効率化のコンサル、イベント仲介や運営、ケータリング、WEBデザイン制作など様々な事業で生計を立てています。正直この3年間は色々ありすぎて書ききれません。多くの人に出会い、別れ、時には対立し、協力し、僕自身の「楽しい」を作っていきました。

業種が多岐に渡るのはやりたい事が全くないからです。全くないというと語弊がありますが、「ありすぎる」から一つに絞りたくないんです。昔から器用貧乏なので何かをやり始めても途中で飽きてしまう癖があります。もちろん礼儀として正しくないレベルのことはしませんが、事業がある程度上手くいくとすぐ次の何かをやりたくなってしまいます。続ければお金になった事は多々ありましたが、いかんせん飽きてしまい常に同じ事をやり続けるとすぐにダメになりました。今はいくつかの事業を少しずつ組み合わせたり、全くジャンルの違う業種を毎日行うことで飽きを減らしています。それぞれの収益を安定的に出すまでは苦労しましたが、お陰で様々な方面の人脈が出来て最高に楽しい生活を送れています。誰になんと聞かれようが、僕はこの道を歩んで本当に良かったと思っていますし、ひたすら自分にとっての「楽しいこと」が出来るのはそれだけで不安を吹き飛ばしてくれます。最高のストレスフリーなんです。

最近になって僕はこの「楽しい」という感覚を誰かと共有したくなりました。そしてもっと多くの人に「仕事は楽しい事だ!絶対に辛くなんかない!」という気持ちを持ってもらいたいんです。その活動の一貫としてインタレという団体を立ち上げたんです。インタレは僕の周りで残っていた数少ない友人達で構成されています。彼らは自分の好きなことがあってもそれをお金にする手段を持っていませんでした。僕は今までの3年間の経験から、彼らをプロデュースして「楽しいことだけを仕事に出来る人」を育成したいんです。それが僕の今一番の目標です。

 

長くなってしまいました。こんな長い文章を書いたのは久しぶりです。僕はまだ文章も稚拙で下手くそなので、ここまで読んでくれた人はきっと少ないだろうなと思います。今の僕ではまだまだ自分の気持ちを表現する力がありません。それでも、少しだけでも僕の気持ちが伝わったらいいなと思っています。まだまだ学ぶことだらけですが、僕らは必ず「楽しい」を「仕事」にしていきます。この活動がしっかり陽の目を見るよう、僕は必死で頑張りますし、応援してくださる方がいらしたらめっちゃくちゃ嬉しいです。
良かったら頭の隅っこにでも入れておいて下さいね。もっともっと人生を楽しくしていきますよ。

 

Twitter (@__BUNTA__)

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