「あいつはどうせ裏でなんか良くないことしてんだろ」
「何がすごいんだよ。あんなん誰だってできるじゃねーか」
恥ずかしながら、僕は頑張っている人や、才能ある人、要するに「すごいな」と思える人のことを昔はこんな風に思っていました。
最近19歳の頃から1人で住んでいたアパートをやっと解約したんです。
その部屋を掃除する時に色々出てきたんですよね。過去のメモ帳とか。なんやかんや。
僕は昔からめちゃくちゃメモを取ったり、それを整理したり、自分の思考を見るのが好きだったんですよ。
で、昔のノートとかメモ書きには本当思ったこと全部書かれていて、まあそれは今でも同じなんですけど、ちょっとびっくりすることもありました。
それがさっき書いた内容です。
こうやって他人と自分を必至に比較して、自分の中で蔑んで、そんなことをしていた時期があったみたいです。たぶん起業してから1,2年の間は。
でも今は全くこういうの思わないんですよ。
ああよく成長したなとは思いますが、やっぱり他人への妬みってダサいし成長には繋がらないんですよね。
以前、同窓会の記事でも書きましたが、人って本当できることとか得意なことが人それぞれです。
今はもう「こんなこともできないのか?」って時代じゃないんです。
昔はそれが認められていたんだろうし、当たり前のようにまだまだ会社とかにはその文化が受け継がれているところはあると思います。
「できないことはできないです」
って言える場所がどれだけありがたいことか。
そんな言葉を受け入れてくれる人がいるのがどれだけ幸せか。
過去にそんなことを思った人も多いんじゃないでしょうか。
人間、認められるだけでスッと全てが受け入れられる気がします。
恐らく、僕が素直に誰かのことを「すごいな」と思えるようになれたのも、誰かに認められたからなんですよね。
自分では全く凄いと思ってなかったことを褒めてもらったり、凄く頑張ってるのに罵倒され続けていたことを初めて認めてもらえたり。
こういう時って本当嬉しいです。ああ、やってよかった。生きててよかったって。冗談抜きで思います。
誰かに認めてもらえた経験があるから、誰かのことを認めれるようになろうと思ったのかもしれません。
それは過去の自分が無意識の内に感じたことだと思うので正確にはわからないけれど。
でもやっぱり人に認められることほど、人間を成長させることはないと思います。
だから「自分にできないことができる人」は僕にとってみんな「すごい人」です。
そうやって「すごいな」って思える人ともっともっとたくさん出会うことが、先に認めてもらうことができた人のノブレス・オブリージュなのかなと思ったり。
すごい小さな取り組みかもしれないけれど、誰にも認めてもらえなくて馬鹿にされていた昔の自分を慰めるためにも、僕は色んな人のすごいところに気づけて褒めることができる存在になれたらなって心の底から思います。