助けたい対象が「みんな」から「目の前の人」に変わった | いつまでもアフタースクール
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助けたい対象が「みんな」から「目の前の人」に変わった

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「地域を活性化したい」 「業界をもっとよくしたい」 「悩んでいる人を救いたい」 こういった大志を描いている人って凄く多いなと思います。 今回はそういうアツい想いに対しての僕なりの意見を。

対象が大きいと行動が見えてこない

この記事を書こうと思ったのはたまたま感化されるようなツイートがタイムラインに流れてきたから。 そして先日関連する質問を受けたからです。   僕は今このブログを運用してアフィリエイトでお金を稼いでいます。 その中には明らかに情報弱者をターゲットにした記事もあります。 (とは言えアフィリエイトって情報アービトラージを埋める為のビジネスなので、この辺は実店舗だろうがネットだろうがやってることは変わらないと想いますが)   こういった記事を書くと心が痛むこともありました。 でも正直、今は何とも思っていません。 お金は使える人が使うべきですし、僕は自分の活動がまた別の誰かの糧になるとも考えているからです。   お金を稼いで豪遊したいとか豪華な生活がしたい、高級車が欲しいみたいな欲求は僕にはないんです。 普通に暮らせれば問題ないですが、ただ僕にも「目の前の誰かを助けたい」「昔の自分のような人間に手を差し伸べたい」という想いはあります。 今まではこの文章の前に「多くの」「全ての」が入っていました。 でもこれって凄く意味のないことだなって思ったんです。 冷静に考えれば僕がどれだけ頑張ったところで全てのリーチしたい人に影響を及ぼすことはできません。

自分が助けられるのは目の前の人だけ。今は綺麗事より現実を大切にしたい。

だからこそ僕は「多くの」「全ての」という抽象的な対象から、目の前にいる僕が向き合うべき人を対象にしようと思いました。 何かをするためにはお金が必要ですし、僕は「よく知らない誰か」である「みんな」よりも、「目の前で真剣に行動している人」のためならばお金を支払えると思ったからです。   ひたすら綺麗事を並べるのも良いと思います。 そう話す事が自分の承認欲求にも繋がるのであれば。 ただ、それでも変わらない、変えられないことの方が多い。 だったら今目の前にいる人のために何ができるかを本気で考えた方が良いと僕は思います。 そのためにお金を稼ぐんです。 お金は持つものではなく、流すもの。 お金を使うべき人へどんどん流していく。 それがお金の使い方だと思います。