元カノの恋愛観「削除」が身も蓋もないけど現代社会で生きやすい件
こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。
恋愛観として面白い価値観を学んだのでシェアしたいと思います。
どうやら元カノの中でぼくは「削除」されているようです。
一般的な恋愛観
一般的によく言われる恋愛観として男は「別名保存」、女は「上書き保存」って聞きますよね。もちろん全員がそうと言う訳ではありませんが、当てはまる人が多いから一般論なんでしょう。みなさんはどうでしょうか。
少し前ですが、高校の友達から元カノの話を聞きました。全体的にキッパリしているタイプの女の子です。サバサバというよりもさらにキッパリ。まあ自分持ってる感のある子だったなと思います。ぼくは高2の文化祭当日に振られているのですが、やっぱりなんとなーく気になったりしてしまうもので。かるーく「そういえばあいつどうしてる?」と友達に聞いたら面白いことを話してくれました。
新しい恋愛観「削除」
「ちょうどこの前、ぶんちゃんの話になって話題に上がったんだけど…」
と話し出す友達の口からは「え、何それ!?」と思わず聞き返してしまう言葉が続きました。
「ぶんちゃん死んだことになってるよ」
どうやらぼく、死んでいるらしいです。
話で聞いた元カノの恋愛観が結構面白くて、ぼくは彼女の中から「削除」されているらしいです。「上書き保存」と何が違うの?と思うかもしれませんが簡単にいえば彼女の認識する世界にぼくはもう存在しないのです。一般的に恋愛が「上書き保存」されても、それ以外の認識は残ると思います。「上書き保存」派の方、それは恋愛が上書きされただけで、恋人ではなくなったというだけですよね?
「削除」はもうそのレベルとも違うそうです。世界に完全に存在しないという定義らしいです。
元カノの中でぼくは死んだことになっている
「生きているから影響を受けるなら、死んでれば何も感じないんじゃない?」
これが元カノの見解です。良い影響も悪い影響も含めて、前の彼氏や彼女に影響を受けて次の恋が上手くいかなかったり、生活に支障が出たり。だったら別れた瞬間から殺してしまえばいいのでは?という持論。めっちゃキッパリしててスゲエって思いました。
元カノの中でぼくはもう死んだことになっていて、
「たまにぶんちゃん見かけるけど、あれー、幽霊かなー?って思うんだよね」
だそうです。一応生きてるんだけどなあ。
確かに生きているから「戻れるかな」とか「会いたくないな」とか思うんですよね。それが当たり前。でもこの世にいなかったら「戻りたい」とか「会いたくない」っていう感情も引き出さないでいいわけです。というかそもそも出てこないんでしょう。これは新しい恋愛ライフハックなのかなと思いました。
今を生きやすい価値観
で、ぼくがなぜスゲエなって感心したかというと、この考え方は現代社会ではめちゃくちゃ生きやすいと思ったからです。
今やネットに繋がれば、知りたい相手の情報がすぐにわかる時代。ネットストーカーという言葉が生まれたくらいですね。付き合っていた人を追いかけるのも簡単だし、それが出来るとわかっていたら意識から消えないわけがないです。
ネットは生活を便利にした反面、人と繋がることを簡略化させ距離の取り方が複雑になりました。このせいで恋愛に依存しすぎて生活が不自由になってしまう人は物凄く多いです。
こうした所謂メンヘラ気味な人たちは是非この「削除」という価値観を取り入れてみてはいかがでしょうか。これは恋愛に限ったことではなく全てに応用出来る観点です。
この世に存在するからこそ、様々な感情を抱いてしまうわけです。そもそも存在していないと仮定すれば、そんな余計な感情を抱かずに済むわけです。なんて効率的なんでしょうか。情報が簡単に手に入る世の中で、いかにして必要な情報や感情、感覚を精査するか。無駄な思考やインプットを強制的に排除する素晴らしい考え方です。
削除 = 感情抜きで客観的に考える力
とは言ってみたものの、流石にこんな斬新な感覚を身に付けるのは難しいでしょう。一体、元カノのどういう思考から生まれたのかはわかりませんが、その境地に行き着いているというだけでスゲエなって感じです。ぼくも殺され冥利に尽きます。
希望的観測は将来的に身を滅ぼしますし、やっぱり客観的に観る力は必要ですよね。特に恋愛など感情が絡んで冷静さを欠く要素には、客観的に考える力は物凄く大切です。難しいとは思いますが、もし人に対して悩みがあるのならばキッパリと「削除」してみるのもありかもしれません。