社員を辞めさせたショックで全てを放棄した自分が復活するまでを淡々と語る | いつまでもアフタースクール
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社員を辞めさせたショックで全てを放棄した自分が復活するまでを淡々と語る

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こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。

ちょうど、一昨年の今頃ですかね。クソみたいにやる気が起きなくてクソみたいに思考を停止してクソみたいな生活を送った期間があったんです。

今でこそ、ノリノリで仕事楽しいやべえ!!ってなってる自分ですが、たまにはそういう時期もあります。全てをやめてしまった最悪の期間。今回はそんな記事。


※この記事は以下の記事の後日談です。良かったら先に以下の記事を読んで頂けるとわかりやすいと思います↓

18歳で起業したぼくが二度と起こさないと誓ったひとつの失敗

何もかも上手くいかない気がした

この時期、なんでここまで上手くいかないんだってくらい何もかもが上手くいきませんでした。ちょうどWEB制作会社の取締役を辞任し、逃げるように一人暮らしを始めてから半年が経ったくらいの頃です。ぼくはこの時、文字通り独りでした。

やる気の湧かない毎日に悩まされ、とりあえず生きていくために仕事を取り続ける。そんな生活。戦略もクソもない日々を過ごすための営業を続けていました。

結果、大した案件は取れず、やりたくない仕事に悩まされ、生産性は落ち、バイトの子に仕事を丸投げして、自分はというと寂しさを紛らわすために物を買い漁った雑多な部屋のベットで天井を見上げていました。

何もかも上手くいく気がしませんでした。

誰かに会うのが怖くなった

こんな生活が続いた挙句、ぼくは家の外に出るのが怖くなりました。取引先からやってくる不定期な電話にビクビク怯えながら過ごしていました。そりゃ電話も来ますよね。やるって言った案件を放置して保留にして何も決めないまま日々を送っているんですから。当然のことです。

幸い、知り合いの経営者さんが新会社で新しい事業を立ち上げるということで、そちらの一部門の運営を任せて頂いていたので、食いっぱぐれることはありませんでしたが、全く好きでもなんでもない事業に時間を突っ込むことへの生産性の悪さとストレスがぼくを少しずつ蝕んでいきました。

今では考えられないくらいくだらないミスをしてクライアントを怒らせる日もありました。自分が何がしたいのか、ぼくには全くわかりませんでした。

極力外出は減らし、週に1,2回家を出る程度で、ぼくのリテラシーは大分低くなっていました。ひとつひとつの小さな作業がとてつもなく大きな障害に感じ、ぼくがまともに出来ていたことは自分を取り繕うための笑顔を作ることくらいでした。

文字通り動けなくなった自分

こんな生活を続けていた頃、ついにベットの上から動けなくなりました。誰とも話したくありませんでした。iPhoneの電源は切りました。窓はブラインドで完全に遮光し、電気は一切付けずに布団の中にこもりました。トイレに行くのも1日に1回程度。この時、ぼくが何を考え、何を思っていたかはあまりハッキリとは覚えていません。ただ端的にわかるのは「こわい」「つまらない」「死にたい」のこの3つでした。一年前までは仕事が楽しくて毎日が幸せだったぼくは、考えられないくらい怠惰で人間味のないただの引きこもりになっていました。何をやってもやる気が起きない。まさにこの言葉がぴったりでした。

やる気をなくした全ての理由

ぼくがなぜこんな状態になったのか、あとから振り返ってなんとなくわかりました。

  1. WEB制作会社での経験がありえないくらい楽しかった分、社員を辞めさせたショックが想像以上のものだった。
  2. そんな中でなんとなく手に入れた案件が、簡単かつ毎月決まった金額を得られるものだったから特に生活に困るわけでもなかった。
  3. 無理して前と同じ悲劇を起こさないようにしたかった。誰かと関わることが怖くなり、自分のことも相手のことも表面でしか考えられなくなった。

ざっとこんな流れです。今では考えられないくらい、ひとつの失敗に囚われた時期でした。ただその失敗が際立ってしまうほど、以前の仕事が楽しかったんです。だからこそぼくはどうしようもない気持ちから抜け出せず、永遠と毎日の様にあの時の光景がフラッシュバックし、結果として以前からは考えられないような日々を送るハメになりました。

ぼくを立ち直らせてくれたのは

そんな状態のぼくを救ってくれたのは当時のクライアントでした。

電話に出ないぼくに毎日電話をくれ、渋々外に出て取り繕った笑顔でアポに向かった自分。そんなどうしようもない人間に

「ぶんた大丈夫か?最近疲れてんだろ。飯食ってるか?」

と言ってくれました。仕事を棒に振ったぼくを怒るでもなく、コンビニで買った菓子パンをぼくに渡してきました。「大丈夫ですよ」と言葉にしても、すぐにやせ我慢だってわかってしまうくらいぼくの目は潤んでいたと思います。

車に戻って貰ったクライアントの言葉を思い返し

「こんなぼくでもまだ必要としてくれる人がいる。心配してくれる人がいる」

そう思い、涙で濡れてしょっぱい菓子パンを、ぼくは黙々と食べました。

世界がネガティブになる原因

こういった経験、みなさんはありませんか?毎日ネガティブになって、いよいよ世界が嫌になる感覚。この原因を、あなたは知っていますか?

ぼくはこうなってしまった、そして解決した両方の原因は全く一緒だと考えています。

それは「他人への依存」です。誰かがいるから生きていける。誰かが楽しいから生きていける。そんな他人本位な思いが募るとこうした惨事を招きかねません。悪い意味ではなく、自己中心と感じれる人は強いです。

周りがどうしても気になってしまう。そんな思いが募れば募るほど、人はどん底への階段をただ降りるだけになってしまいます。

やる気のない自分を治すたった一つの解決策

しかしそんなぼくを助けてくれたのも周りの人間の言葉です。ぼくはクライアントから先ほどの言葉を受けて

「この人のためにもう一度頑張ってみよう」

そう思い決起しました。時間はかかりましたが、3ヶ月ほどで昔の自分を取り戻すことが出来たんです。

決め手は、どんなに落ちこぼれても、どんなにダメな人間でも、必ず一人でも必要としてくれる人がいるという事実です。

こんな状況の時は本当に誰にも会いたくないと思います。ぼくもそうでした。でも、それでも誰か自分を必要としてくれる人に会うのは必要不可欠だと思います。ぼくの場合はクライアントでしたが、親でも友達でも構いません。落ちこぼれた自分でも、必要としてくれる人を探すべきです。

そして、一人でもそんな言葉をかけてくれる人がいたら、その人のために、とりあえず全力疾走してみてください。精一杯の恩返しをしてください。きっと「ありがとう」の言葉に心が救われますから。

今回はぼくの失敗談を書いてみました。今でこそ仕事大好きなぼくですが、こういった失敗が積み重なって今の自分ができています。たまに思い返して「ああ、こういう時もあったなあ」と感慨に浸ることがあるのですが、そうすることでもう絶対に同じ失敗を起こさないと心に誓っています。最初は誰かに支えられて、それでも全然良いんです。少しずつブレない自分を作っていきましょう。