いつまでもアフタースクール

放課後が待ち遠しかった学校生活。ぼくにとっては今も放課後。だから楽しく生きていけます。主にオピニオン、10代20代への起業論を発信していきます。

両親が離婚して無表情になったぼくが、今心の底から笑える理由

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こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。

何か強い意志や想いのある人って過去の事件やコンプレックスが起点にあることが多いですね。

かくいう自分もひょっとしたらコレがきっかけになったかな?みたいな事件がありました。今日は少し昔のこと、自分の人生観を変えた事件の1つを紹介します。

 

 

 

ぼくの家族

突然ですがぼくは6人家族、4人兄弟の長男です。

全員男の兄弟と両親、特に裕福でもなく貧しくもなくごく普通の一般家庭。両者の祖父母も健在で親戚もいました。

 

というのが起業する1年半前の話。

 

ぼくは今、戸籍上では肉親である父親と2人です。

ぼくの母親も、兄弟の名前も。

訳あって父親の両親の名前すらありません。

 

仲の良かったぼくら家族は、両親の離婚で離れ離れになりました。それだけの話です。

だからこそ今の自分がある。そう思います。

 

温室で育った学生時代

ぼくの学校は小中一貫校で、市の中では一番偏差値も高く、言ってみればちょっと品の良い家庭が多くいました。モラルも高くなるのか、いじめなどはほとんど無く、荒れる生徒もほぼいない。いわゆる温室な環境でした。

 

そんな環境のせいか、どの家庭も仲が良く、家族間での交友も多々あるような一丸となった地域でした。

なんとなく出来すぎてるかのようなその環境は、どこか「空気を乱してはいけない」そんな暗黙の了解が流れているような気もしましたが、ぼくら子どもは与えられた環境でのびのびと育ちました。

 

自分の家庭も例外ではなく、仲が良くて、少し厳しいけれど毎日楽しく生活している。そんな一般家庭でした。

 

ある朝、目覚めたら父親が泣いていた

ある日、何の前触れもなく事件は起きました。本当に突然でした。

なんとなく父親の声で起きた朝。大きな声ではありませんでしたが、少し訴えかけるかの様な声でした。例えるなら可能性のない事にすがるような、そんな感じ。

「何かあったのかな」そう思い、リビングに行くと父親と母親がいました。母親は無表情。父親は泣いていました。ぼくは彼が泣いているところをこの時初めてみました。

 

「何?」

 

「なんでもないよ。学校の準備しな」

と、母親は諭します。

 

「何でもないじゃねえだろ、何だよ」

 

「....」

 

何も答えてくれない両親を前にぼくは「ちゃんと話してよ」と一言だけ言って、シャワーを浴びました。

シャワーを浴びながら、涙が出ました。なぜかはわかりません。自分でもわからないけど、きっとこの時点で予測は付いていたんだと思います。

昔から先を見て考えるのが得意だったぼくはこの時も無意識に何か良くないことを考えていたんでしょう。勝手に流れてきた涙はその前触れでした。

 

母親に告げられた離婚

シャワーを浴び終え、学校へ行く準備を済ますと、母親がぼくの部屋に来ました。

「もうね。無理になっちゃったんだ。たぶんこの先、あの人を愛せないと思うの。お互いに良くないんだ。だから離婚することにしたの」

涙ぐみながら母親は唐突に語りだしました。ぼくはどんな表情をしていいかわからず、無言で母親の言葉を聞きました。

目の前で発されている言葉が自分へ向けられたものだとは思えなかったんです。そのくらい、ぼくら家族は楽しく仲が良かった。離婚なんてどうせ嘘だろう、そう思いました。

 

その半面、どこかもう取り返しの付かないところまで来ているんだなと直感でわかりました。

 

一通り話を聞き終えて、ぼくは無言で玄関に向かいます。

 

...学校行くんだね」

引き止めるかのようにぼくのかばんに手をかけながら母親が言いました。

 

「よく泣かないで学校行けるね」

どうしてほしいのかぼくにはわかりませんでした。

 

「俺には...関係ねえから」

そう言って家を出ました。

 

誰かの話だと思って聞いた。それは自分の話だった

離婚という言葉を耳にするようになったのは中学生に上がったときくらいでした。それでもそんな言葉を聞くのは本当数える程度で、ぼくにとっては都市伝説だったし、それこそ殺人事件のように偶発的で可能性の低いものだと思っていました。

 

でもそれは違いました。実際ぼく自身の身に起きて、理解しました。離婚なんてどこにでもあり得ることで、うちは大丈夫なんて確信は何の意味も持ちません。

 

きっと心の底では「あんなに仲の良かったぼくら家族はどうして離れ離れになっているんだろう?」そう、今でも思っています。まだまだ半分も理解出来ていないと思います。

 

離婚というどこにでもあるごく普通の殺人事件はぼくに当事者として生きる術を与えました。

 

だからぼくは無表情でいるしかなかった

母親の話を聞いている間、ぼくは無表情でした。

感情をシャットアウトして思考を停止する。それがぼくが覚えた処世術です。

 

そうでもしなくちゃどうにかなってしまいそうでした。全然理解出来ませんでしたし、今でもよくわかっていないのはそのせいだと思います。

 

きっと辛かっただろうし、嫌だったろうし、理解したくなかっただろうし。でもそんな感情は朝のシャワーと一緒に流したんです。

 

生きる為に重要なのは自分を見失わないこと

結局、生きていく上で重要なのは自分を見失わないこと。これが一番だと思います。

 

例えば、何か大きな問題にぶち当たって、その時の自分に処理できないと感じたら処理しない方を選んでも良いんです。いつか立ち向かえる時まで、逃げ続けても良いと思います。

逃げて。逃げて。逃げて。その間に自分がもし強くなれたら、その時に面と向かって向き合えばいい。目の前に立ちはだかる壁は今すぐに乗り越えなくてもいいんです。

無理に頑張って、自分を失って何も出来なくなってしまうくらいなら、すぐに逃げ続けましょう。

 

あの頃のぼくは、自分がダメになってしまうのがわかってて問題から目を逸したんだと思います。未来の自分に解決を委ねました。

そうしなかったらずっと解決できない感情の沼にハマって、ぼくはここまで来れなかったと思います。

 

ぼくが今、心の底から笑える理由

両親の離婚、今思うとどこにでもある日常の一部でしかないのかもしれません。それでも、自分が当事者としてその事件に出会えたことは、少なからずぼくに生きる術を与えてくれました。

 

感情にメリハリを付けて無理だと感じた時にシャットアウトする術をぼくは学びました。感情のコントロールって難しいですけど、強制的にそうせざるを得ない場に出会えて、ぼくは良かったなって思います。

だからこそ、本当に笑いたい時は際限なく笑うことが出来る。そうやって感情の均衡を保って生きていける。あの事件から学んだのは世の中を生きやすくするほんの少しの意識改革です。

 

辛い時は辛いと言っていいし、悲しい時は泣いてもいい。でも、本当にどうしようもなくなるくらいなら、考えなくていい。

いつか考えられるようになるまで、ほっておいても良いんです。それまでとことん楽しんで、とことん心の余裕を作って、いつか向き合える時が来たら向かい合えばいいんです。

悩んでることがあったら、一回心の底から笑ってみましょう。気が楽になるまで考えるのを辞めましょう。自分の人生は自分だけのものです。再起不能になる前に、もっと明日の自分へ繋げる努力をしてみましょう。

 

我が逃走

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