高校生が起業資金360万円を集めてわかった本当に起業で大切なこと | いつまでもアフタースクール
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高校生が起業資金360万円を集めてわかった本当に起業で大切なこと

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「金がないなら集めればいいか」

3年前、無謀な高校生が口にした何の根拠もない思いつきです。これが面白いことに5ヶ月後には本当に360万円作れていたんだから驚きですよ。

こんにちは起業家ブロガーのぶんたです。

起業したい人、独立したい人。今日はそんなことを少しでも夢見るあなたへ希望の欠片となる記事を書きました。これはぼくが過去に実践した記録であり、過去の自分を見直すための備忘録でもあります。

「無謀」は大きな行動力とも言えるんです。そしてそこに少しの発想と周りの助けが加われば、起業は難しくありません。


無謀か!?高校3年生の描く起業

300万足りないなあ」

起業家どころか無謀家とでも呼ぶべき当時高校生のぼく。貯金なんて全くと言っていいほどなくて、いやーよくこれで起業するとか決めたよなって今でも半分そう思います。そのくらい無謀でした。でもそれがまかり通ったから今こうして暮らしているわけで。本当ぼくが言うかって感じですが不思議な世の中です。

さて、当時のぼくの状況を具体的に洗い出してみます。

  • ただの高校3年生
  • 受験はしないと決め迎えた冬
  • 卒業まであと3ヶ月
  • コネなし、スキルなし、何もなし

なんだかどっかの情報商材に書いてあるかのような内容ですね。

それではこんなぼくがどうやってお金を集めたのかを書いていきます。

武器は打算的な思考と根拠のない自信

文字通り何もなかったぼくですが数少ない武器のひとつは打算的な思考でした。物事をとにかく打算的に考え、打算的に動き、打算的に攻略していくのが得意でした。これは生徒会の運営やバイトの経験からなるものでした。細分化して考えしっかりと結果を予測し損得勘定をしていく。今のぼくは以前よりアツい感があるのですが、当時の自分を思い出すと本当感情の無いロボットのようでとりあえず思考する=計算することに必死な人でした。

もしかしたら、というかたぶん今よりも当時の方が思考の回数は多かったと思います。今は思考した結果からの推測で判断の回数が多いイメージですが、当時は考えて考えて考えて答えを導き出していました。

もうひとつの武器は全くもって根拠のない自信。理由なんて何一つないですが、ぼくなら出来るという本当に何の根拠もないただそれだけの思い込みがありました。この根拠のない自信は今もそうですがぼくを無理やりポジティブシンキングにさせてくれるので本当に重宝しています。

ポジティブであることは凄く重要で、やっぱり人間気持ちが前を向かないと行動が伴わないんですよね。起業は正直尚更だと思いますが、周りから応援もあれば罵倒もあります。とにかく凹む確立が普通に生活しているよりも高い!…気がします。だからネガティブにならざるを得ない状況にどうすれば耐えれるかというと結局自分を信じるしかありません。人に話しても方向性や行動を決めるのは自分ですから。だからこそこの根拠のない自信から生まれるポジティブシンキングはぼくにとって大きな武器でした。

この2つの心構えのもとぼくは起業という自分で選択した道を推し進めることにしたのです。

必要資金の見える化

まずぼくがやったことは割と単純で「結局いくら必要なの?」という部分を明確にしました。当時ケータリング業を始めようとしていたぼくですが(打算的に考えた結果これくらいしかいきなり仕事に出来ることが思いつきませんでした)、どう考えてもお金がかかることに気づきました。当たり前なんですけどね。まずはその当たり前から構築していくレベルだったんです。

ただ、わからないをわからないのまま放置してもどうにもならないのでとりあえず「見える化」を実施しました。準備にいくら必要なのか?会社設立に必要な手続きは?いくら売り上げれば回るのか?本当に単純なことですがこれを全て目で見える文章や数字に直しました。

すると大変なことに気づいたのです。

ぼくがこの事業を始めるにはまず300万円の資金が必要でした。そんなお金当然ありません。

数字が見えて湧いてきた実感

起業に必要な物をひとつひとつ可視化していくと同時に「ああ、なんだこれやばいなあ」というなんだかよくわからない悟りを開きました。普通に考えたら無理です。無謀。しかしここで思考を止めなかった18歳のぼくに「がんばったな」のエールを贈りたいです。貯めるにしてももう卒業まで時間もない。宝くじはまず当たらない。こんな大金誰かがくれるわけもない。とりあえず無謀なのは前提としてひとつひとつ可能性を消していきました。最終的にぼくはこれしかないかなってとこまで行き着きます。

「そっか、金がないなら借りればいいんだ」

そりゃそうだよねって発想ですが、ぼくはこうして中卒借金野郎への決意を固めました。

お金を借りる手段は消去法で

起業に必要なものが明確になったところでまずはお金を借りる手段を調べました。

一番最初に浮かんだのが銀行です。

当時ベンチャーがなんなのかもよくわかっていなかったぼくは、頭の良さそうな若者がビジネスを始めるさまをニュースで見ていました。そして直感的にぼくとは違うなと悟りました。ぼくは彼らみたいに大局を見ての思考は苦手なタイプです。どちらかと言うと細かい視点で考えてそこに価値を生み出すタイプ。

また莫大なシェアを狙えるビジネスじゃなければこんな大きな投資はおこせないんだろうというのはぼくでもわかりました。一応ダメ元で銀行に電話しましたがあっさりと断られました。18歳のよくわからない戯言かますガキにお金を貸すほど銀行もバカではありません。そりゃそうだ。

次に思いついたのが親や親戚です。

しかし親族との絶縁や離婚などで、そもそも当たれる人が少なすぎました(ぼくの戸籍には父親と自分の名前しかありません)。母親は起業自体猛反対ですし離婚してからは会うことすらしません。父親は離婚の影響でとてもじゃないけどお金を貸してくれるような金銭状況では無かったので両親は無理でした。また親戚も当たれる人はほぼいなくて、ダメ元で話してもやっぱりどうにもなりませんでした。

最終的にこれしかないと思ったのが国民政策金融公庫です。

簡単に言うと国が事業活性化のためにお金を貸してくれるシステムです。これには開設資金で申し出ることの出来る枠もあり、ぼくはそこに目をつけました。「もしかしたら自分でも借りれるのではないか?」これが当時ぼくが考えることができた最後の手段です。

早速HPを見て受付施設に赴くとA3の紙を2枚渡されました。これに事業計画や必要な物と理由、そのために必要な資金を書いてくださいと言われました。正直かなりポカンとしたのを覚えています。イヤイヤイヤイヤ、いくらなんでもこんな紙っ切れ2枚で300万も借りれないでしょ!こんなゆるいの!?と、まあそりゃあこんなんで誰でも借りれるわけではありません。調べてみると国民政策金融公庫の開業資金の調達成功率は30%だそうです。「そもそも申請内容を薄くするために敢えて国がぼくらを試しているのではないか?」とすら思いました。本気で考えているならこんな中に収まるわけないでしょうと。

なぜか自分に与えられた試練だと勘違いした頭の悪いぼくは十数ページの事業計画書と数枚の必要物資の詳細書類を携えて後日もう一度国民政策金融公庫の窓口を訪れました。

急がば回れの打開策

この国民政策金融公庫に賭けると決めた時、少しでも確度を上げようとぼくは2つのことをしました。

  1. 国民政策金融公庫に繋がっている可能性のある人を探す
  2. 設立当初に活きてくるであろう大人と起業の話を詰める

この2つをメインにぼくは奔走を始めます。

まず「国民政策金融公庫に繋がっている可能性のある人を探す」ですが、これは根回しとか癒着のようなものですね。役所と言えど中にいるのは人なわけで最終決定を下すのも人です。つまり内部と関わりがあり、且つ自分を推してくれる人がいればいくらか確度は上がるだろうと考えました。

さて、そんな人物で簡単に会いに行けるような人、そして味方になってくれる人はいるのでしょうか。

この時のぼくの推測はかなり単純で、まず会社がどういうものなのかから仮定して考えていきました。会社というのは基本的には常に利益を生み出し続けるものです。つまり、利益が出なくなったら終わりです。しかし、誰だってそこまで放置するほどバカではありません。崩壊の可能性があると感じた経営者は恐らく資金繰りに勤しむでしょう。それが銀行なり、それこそ国民政策金融公庫なり。

この会社の危機を管理しているのが誰なのかを考えました。すぐ思いついたのは会社の経営者。経理。しかし彼らが協力してくれる可能性は少ないですし、そもそも社長さんの知り合いなんていません。となると他に誰がいるか。もちろんこの二者もそうなのですがもっとプロフェッショナルがいることをぼくは気づきました。たくさんの会社を見てきてたくさんの会社の経営状況に目を通してきた第三者機関。そう、税理士です。

税理士も契約先の会社が無くなってしまっては損失が出てしまいます。そうならないためにきっと過去の経営状況が悪化した契約先には何度となく救いの手を差し伸べてきたのではないか?そう仮定しました。

そして出た答えが「国民政策金融公庫と繋がりのある可能性が大きい歴の長い税理士を見つける」というものでした。これに付随して、ぼくの強みを最大限に活かせるなるべく高齢な税理士を探しました。今のぼくもありですが「若い人を応援したくなる気持ち」って必ずありますよね。だからこそ全面的に若さと勢いを出して落とせる人を探そう。打算的で身も蓋もないんですがこれは強みでした。

ぼくはネットの税理士紹介サービスで地域の税理士さんの資料をリストアップして送付してもらい、そこから虱潰しに当たっていきました。結果、早々に国民政策金融公庫と繋がりのある税理士さんに出会うことができ、その場で契約。すぐに国民政策金融公庫の内部の方に連絡をしてもらい、後日ご紹介頂ける運びとなりました。

税理士さん以上に打算的に運んだのが「設立当初に活きてくるであろう大人と起業の話を詰める」ということです。流石になんでもかんでも1人でやるのにはどう考えても無理があります。そして当時のぼくは未成年です。書類ひとつとっても全て親の承諾書が必要になる。これは如何せん効率が悪すぎます。

ここでぼくは前々から起業の話に興味を持っていたバイト先の社員さんとさらに細かい話をしました。事業計画書を見せ、ぼくの熱を伝え彼を動かす説得に入りました。結果、彼はその職場を辞めぼくと一緒に事業をしてくれることになりました。ここからは初対面で大人が出向いた方がいい場所には代わりに行ってもらい、ぼくと1度会ったことのある人やぼくの勢いを買ってくれる人の場所にはぼくが出向きました。

こうして資金繰りの成功率を上げる施策を水面下で整えました。

振り返ってみるとよくこんな憶測で動いたものです。それでも1つ1つ仮定して可能性を細部まで考え出した答えがコレだったんです。本当この時に温かい感情は皆無でした。ダメなら切り捨てて次に行く。そのくらい冷徹に物事を進めていました。

起業。そして資金調達完了

ここからはもう成るようにして成った。というべきかもしれません。自分の思い描いていた計画通りに全てが進み、結果的に360万円の資金を調達することに成功しました。

この時点では事業はスタートしていましたが、仕入れ金や必要資材の費用、制作費等は全て掛けにしてもらえていたので無事に返済し、実質的に事業を回し始めることが出来ました。今思うと本当にヒヤヒヤの綱渡りからのスタートで、逆によく周りの関わった会社は掛けにしてくれたなとは思いますが、ぼくの頼み込む時の熱に協力してくれたのかなーと思うことにしています。本当良い大人たちに囲まれてのスタートだったなって感謝しています。というかそういう大人とだけ接するようにしていたので、どこまでも打算的で嫌な18歳だったなとは思いますが。

ここからはぼくが実際に事業を回していく流れに移りますが、ひとまず資金作りに関してはこんな感じで幕を終えます。

知識がないからこその発想と行動力

今のぼくが当時を振り返ると正直「無謀」の一言に尽きます。なんでこんなリスクのデカイことをやろうと思ったのか。バカだろとしか思えませんし。そもそもサクサク起業して事業始めて最後の最後で資金降りませんでした。なんてなってたらどうしていたんだろうと恐ろしくて言葉になりません。それでもなんとかやりきったから今があるわけですが。

同時に振り返っていて思ったのは知識がないというのは本当に発想の柔軟性が高いということです。だって今のぼくならまずこんなことしませんし、書いてるだけで怖すぎます。これは経験を積んだから。社会に出て当時とは比べ物にならない量の知識を詰め込んだからです。だからこそ経験則でリスクのない方法を行こうと判断してしまいます。

しかし当時はそんなのを考えるまでもなく知識がなさすぎました。もちろん経験もありません。だからこそ知識がないという制約を逆手に取り、その中だけで確実に達成できることを考えるという点にリソースを割いたのだと思います。当時の状況から今のぼくが持つ知識を得ようとしても文字通り何年かかるかなんて予測できなかったでしょうから。

小さい子や赤ちゃんって本当変なことを言ったり、やり始めたりしますよね。あれって見てて面白いし、だから子どもが好きって人もいると思います。当時の自分は正にそんな感じで赤ちゃんみたいなものでした。今でも対して変わらないかもしれませんが、突拍子もない発想でそれを実際にやってみるというところだけが面白いなって思わせる秘訣だったかもしれません。

今の自分は昔の自分に比べると思考の質は上がった気がしますが、回数は圧倒的に減っていると思います。それに行動力も落ちたような気がします。やっぱり経験がぼくを変えていったからでしょう。

今日こんな記事を書いたのはぼくがこれから今までとは違うことにチャレンジしようとしているからです。だからこそ昔の自分を振り返ってその行動を分析したくなりました。

少し頭でっかちになってしまった自身を一旦リセットして作り変え、もう一度ゼロスタートを切ろうかなって考えています。今の自分の限界値を変えるにはやっぱり大きな変革が必要なんですよね。変化を得るためには今の現状も捨てる覚悟で変えてかなければなりません。

大学進学という未来を捨てて高卒という資格も捨てた過去の自分が、それを教えてくれました。